07.高宮宿〜鳥居本宿

その2  彦根市原町〜鳥居本宿


雨が降ってきた。


2007.4.7.(土)  天気 : 曇り後雨

60m進むと左手に鳥居が見えた。その前に石碑風の塚の案内があった。ここは原八幡神社だ。

鳥居を潜って行くと石碑があった。どうやら写真の右が昼寝塚で、左が白髪塚のようだ。しかし「塚」とは本来、土をこんもりと盛り上げたものを言うのだが、ここでは石碑をそう呼んでいるのだろうか?

とにかく「昼寝塚」と思われる裏側に回ってみた。しかし私には文字がよく読み取れない。
ひるね塚・・・芭蕉の句碑 「りるかおに ひるねせうもの とこのやま」 俳聖松尾芭蕉が中山道を往来する旅人が夏の暑い日にこの涼しい境内地で昼寝などしている、つかのまの休息をしている「床」と「鳥籠山・とこのやま」をかけて詠われたものと思われます。

一方「白髪塚」の碑の裏側は、「祇川居士」や「秋の風」が読み取れるので間違いないだろう。
白髪塚・・・「恥ながら 残す白髪や 秋の風」 聖徳太子と守屋との戦い等、幾多の戦の将士達をあわれみ蕉門四世・祇川居士(陸奥の人)で芭蕉の門人が師の夏の句に対し秋を詠んだ句と思われる。

街道に戻り少し進むと、左手に醤油屋さんの看板が見えた。私は三重県に住んでいる時から酒屋さんは時々見掛けたが、醤油屋さんを見た記憶は無いので珍しく建物をジーッと眺めてしまった。

その少し先左手に「俳人 森川許六遺路 一七〇米」と書かれた石柱を見つけ街道を離れて右へと進んだ。先ほどの醤油屋さんの醤油蔵がその道筋にあるらしく。醤油のいい匂いを嗅ぎながら新幹線と名神高速道路の下を潜った。

奥は霊園のようだが、左を見ると句碑が見えたので近寄ってみた。
森川許六の碑 「水すじを 尋ねてみれば 柳かな」 水すじとは近くを流れる「いざや川」を詠ったものです。許六は江戸時代の彦根藩士で芭蕉の弟子となる。名残りの井戸の脇に句碑がある。

近くをキョロキョロ探してみると、一番低い場所になにやら小さな屋根風のものが見えた。どうやらここが、説明書きにあった「名残りの井戸」らしい。許六はここに庵を構えていた文字通りその名残りだ。

街道へと戻り右手に新幹線の線路を見ながら進む。すると左手の原っぱに案内板がポツンと建っていた。見てみると「十所谷(とどころたに) 往時の宿場」とあった。私の持っている資料や中山道を歩かれた諸先輩方のサイトにも載っていないのでよく分からないが、ここに宿場があったのであろう。しかし、「往時の宿場」と書かれているだけなので、いつの時代なのか・・・?

そして街道は「小野町」へと入り、新幹線のガード下を潜る。しばらく左に新幹線、右に名神高速道路を見ながら進む事になる。

ガードを潜って130m程行った右手に新しい小さな建物が目に付いた。そのお堂前の石に小町塚と書かれていた。美女として知られる、あの「小野小町」に関する塚だ。
小野小町塚・・・地元に伝わる郷土芸能「小野町太鼓踊り」の中には、小野小町が謡われており、この地を誕生地とする伝承が残っている。「出羽郡小野美実(好美)は、奥州に下る途中に、小野に一夜の宿を求め、ここで生後間もない可愛い女児に出会った。美実は、この女児を養女にもらい受け、出羽国へ連れていった。この女児が小町という。」小野塚には、「小町地蔵」として親しまれてきた石仏(15世紀後半頃に造仏)がある。自然石を利用して、阿弥陀如来坐像が浮彫りにされている。(全高1.25メートル)正面だけではなく、両側面にも彫り込まれており、類例が少なく貴重なものである。(抜粋)
説明看板にこうあったので、お堂の中を覗いてみると、なるほど、もう形が分からないくらいになった坐像が彫られた石が奉られていた。

270m進むと左手に「八幡神社」と書かれていた。参道の両側には常夜灯があり、一見普通の神社だが、鳥居はと言うと、なんと新幹線のガードを潜った先に見えた。

そこから150m程歩くと街道の両側に家並みが見えてきた。ここが前述の「小野町」である。道も狭く旧街道らしさを見せていた。ここは新幹線の線路と高速道路に挟まれているが、一瞬に通り過ぎる場所だし、大きな通りから離れた場所なので、まるで隠れ里のようだ。

小野の町並みを通り過ぎ、450m程進んだところから別の町並みが始まった。ここは鳥居本宿の入口だ。そこから130m進むとT字路があり、別の道が左へと続いていた。道標は私たちが歩いてきた逆方向に建っているので「右 彦根道」となっているが、江戸時代に朝鮮通信使が通った道なので「朝鮮人街道」とも言われるらしい。

210m先の左手に専宗寺というお寺があった。門前右手には「聖徳太子舊跡」と書かれて石柱。しかし、聖徳太子がこの地のお寺と、どう関係があったのかは分からなかった。なお「太鼓門」の天井に、石田三成の居城であった「佐和山城」の廃材が使用されていうrらしい。

ここ「鳥居本」は「合羽」が名産品だったらしい。そして少し歩いた先右手に屋根の上に合羽型の看板が掛かっているのを見つけたが、「包紙紐荷造材料」と書かれていた。昔は合羽を売っていたお店なのだろう。

その近くに本陣跡の木製看板を見つけた。敷地内には沢山のプランターに色々な花々が、そして桜が綺麗に咲いていた。

なお手元の資料に依ると、看板は無かったが一軒手前になる隣側は脇本陣だったらしいので、パチリと写真だけ撮影しておいた。

先程から雨粒が分かる程度の雨が降ってきたので、街道から左に70m程先の「近江鉄道 鳥居本駅」で休憩する事とした。雨が止んでくれればいいのだが・・・


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