新年1月8日、中山道歩きの2日目だ。本当は今日からスタートするつもりだったが、前述の通り年末から歩き始めた。今回は我が家から一番近い場所を歩くので自宅は10時30分ととても遅い出発となった。その為「大津宿本陣」を11時30分の歩き始めだ。風が少しあり、冷たい。 広重が描いた「木曾街道六十九次」の「大津」の浮世絵と同じと思われる場所で写真を撮り、ここ「京町一丁目」の信号を右折して本格的なスタートを切った。
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20分程歩くと、「バッタン床机」のある古い家があった。折り畳み式の縁台だが、風流なものだ。
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その後、「東海道」を歩いた時に寄った「平野神社」へと言ってみた。前回気がつかなかったが、「蹴鞠之神社」と書かれた石柱があった。
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そして「京阪電車」の踏切を越えて「義仲寺」の前を通った。
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「膳所城 北総門跡」の石碑を左手に見ながら、街道を右へ左へとカーブして進む。
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少し歩くと右手にある石坐(いわい)神社へと寄って見た。説明書きに むかし干害にあったこの地の人が雨乞いをしたら、ひじょうな応験があって・・・ と書かれていた。
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「岩坐神社」の先で突き当たりを左へと行く。そして小さな橋を渡った。
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すぐ先のT字路を右へと曲がる。「東海道」を歩いた時は、左方向への道は工事中だったので間違えなかったが、今回は工事が終わっていた。
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100m足らずで「響忍寺」の前に来た。ここで左折だが、京都から歩いて来るとそのまま真っ直ぐ歩いてしまいそうだ。
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220m先を今度は右折して進んだ。この前通った場所だが、曲がる場所が多いのでややこしい。
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その後「和田神社」「縁心寺」そして「膳所神社」近くを通りどんどん進む。するとこの前見た事の無い、赤埴勝政邸址と石柱に書かれた所に来た。「こんな所はこの前通らなかった・・・???」地図を見直すと途中で左折しないといけないのだが、真っ直ぐ進み過ぎた様だ。ちなみに赤埴勝政は石柱に 赤穂義士赤埴源蔵の叔父。膳所藩最初の儒者。 とあった。 行き過ぎたが新しい発見が出来た。しかし、間違った道を戻るのは足が重かった。
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「音羽軒」という店まで戻り、今度は左折して進んだ。写真を見てもらえば、何も目印が無いので真っ直ぐ進んでしまったのがお分かりだろう。
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今度は「奥村歯科」の所で道なりに右へとカーブ。
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そして290m先で「京阪電車」の踏切を渡った。
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130m歩き、T字路を今度は左折して進んだ。
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90mで、また踏切。そこから100mで街道は右へ左へと曲がり、先へと続いていた。
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そのすぐ先で、膳所城勢多口総門跡の石柱を左手に見ながら街道は右へとカーブ。
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そして所々に松並木の名残りがある「粟津の晴嵐」を歩く。右手は日本電気硝子やNECの関連会社の塀が続いていた。
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少し歩くと左手に「餃子の王将」が見えた。13時45分、ここで遅い昼食を摂った。「餃子の王将」は普段もよくお世話になっているが、この店舗は初めてだ。
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