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05.武佐宿〜愛知川宿

その3  東近江市五個荘清水鼻町〜東近江市五個荘簗瀬町


変わった道標や常夜灯が・・・


2007.3.21.(水)  天気 : 快晴

少し先には、中山道と書かれた石の道標があった。

そして近く左手に清水鼻の名水があった。

ここは、瓦屋根付きの立派な上屋があった。座れる様に木製のベンチも置かれているので、休憩にはもってこいの場所だ。

水も綺麗で、水筒のフタで少しいただいた。私は都会で住んだ事が無いので、まずいと感じる水を余り飲んだ事が無い。大都会の人がこの水を飲んだらきっと「おいしい〜!」と言うだろう。

すぐ先で車が通れる旧道は突き当たりとなり、すぐ右にある「国道8号線」へと出た。

国道に出たかと思ったら、100m程ですぐ右の旧道へと入る。旧道が国道建設のため、削られてしまったのがよく分かる。

そして国道と分岐した所(街道左手)に「旧中仙道 てんびんの里」と書かれた石柱があり、その上にてんびんを担いだ近江商人の銅像が置かれていた。

旧道を歩き始めると、街道左側には「松並木」が残っていた。関西にはなかなか残っていないので、少し感激した。

旧道に入ってから540m程の所に、観音像が上に乗っている珍しい「三十二番観音道」の道標が左手にあった。「三十二番」とは前述の「観音正寺」のことだ。

220m進むと、今度は茅葺きの家が見えてきた。街道左手にあるこの家は、大名や公家達の休憩場所になっていたという。そして家の角には、「金比羅大権現」の常夜灯も建っていた。

「大郡神社」の鳥居前を過ぎ、先程の所から340m行った所、左手民家の庭先に明治天皇御聖蹟の石碑があった。

また、その向かいにある「ポケットパーク」内にも明治天皇北町屋御小休所の石碑があるが、これも向かいの家のことを指しているらしい。
時計を見ると11時20分、少し早いが食事にしようと思い、すぐ先の道を左折して150m先の「国道8号線」に出てみたが、食べ物屋が見当たらない。仕方が無いのでまた旧道に戻り、もう少し先へと進む事にした。

ポケットパークから約330m先、右手に「常夜灯」があった。周りが田んぼなので、よく目立つ。「右 京道 左 いせ ひの 八日市」とある。頭の部分と脚が少し変わった常夜灯だった。

280m先の右手民家前に、鐘が置かれているのが見えた。ここは「西沢梵鐘鋳造所」と言う所で、お寺等の鐘を造っているらしい。

すぐ先には、また「ポケットパーク」。ここには「五個荘」の「中山道分間延絵図」が大きく引き延ばされて掲示されていた。

300m近く歩くと、左手に「東近江市五個荘支所」が見えてきたが、その前の旧街道には松並木の生き残りが、1本だけポツンと生えていた。何とか枯れずに、いつまでも残っていて欲しいものだ。

ここから真っ直ぐ歩いて行ってしまい、右折するのをうっかり忘れてしまった。すぐ気が付いて地図を見ながら少し戻り、用水路を渡って街道を進んだ。この右折ポイントは、「東近江市五個荘支所」隣の「五個荘郵便局」を過ぎてすぐの橋だ。

右折してから約140mで三叉路となっていて、そこを左折して進む。その曲がり角右手には、またまた「ポケットパーク」が!ここには「太神宮」と書かれた常夜灯や四阿があった。しかしどうしてこの辺りは、こんなに休憩場所が多く造られているのだろう?旅人に優しい「旧五個荘町」だ。わがままを言わせてもらえば、トイレが一ヶ所だけでも設置して頂ければ、大変有り難かったのだが・・・(写真は、歩いて来た方向とは逆から撮影しています。歩いて来たのは矢印の方向からです。)

「近江鉄道 五箇荘駅」(駅名は、五個荘ではない!)へ入る道を通り過ぎ、踏切を渡った。駅へ行く道付近に道標があったのだが、見るのを忘れて通り過ぎてしまった。
そして街道左手に、東嶺禅師御誕生地と書かれた石碑があった。東嶺(とうれい)禅師は、駿河の白隠禅師の弟子となられた高僧だ。そう言えば「東海道」を歩いた時、「白隠禅師誕生地」を訪れた事がある。

そして、少し歩くと「愛知川(えちがわ)」の堤防へと突き当たった。ここを左折して進む事になるが、その左角に「常夜灯」があった。この常夜灯も頭の部分が家の屋根を模した変わった造りになっていた。
時刻は12時06分、お昼になったので、そろそろもう一度昼食場所を探さなくては・・・


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