13.沼津宿〜原宿



ひたすら西へ歩くだけ。



2006.03.24.(金)  天気 : 曇り
沼津宿〜原宿の地図






昨夜泊まった「沼津グランドホテル」から「夢舞台東海道道標」まで戻り出発!一度南進し静岡銀行のある交差点を右折、ここからはほぼ西への一本道だ。少し先に出口町見付外と書かれた、鉄板が埋め込まれた石柱のような説明書きがあった。・・・宿の出口には、見張り番所としての見付があり、その西外側の土地ということで付けられた地名であろう、この地の見付(領主番所)は、西見付であり、この地の南付近にあったと思われる。・・・

800m程進むと、左手に六代松是ヨリ南一里半と書かれた石碑があった。平家ゆかりの地らしいので見に行く事とした。

石碑から南へ進むと公園の様な所に出た。石碑が建っていて、六代松と書かれていた。・・・六代は、平清盛を三代とし、重盛、惟盛、六代と続く平家の頭領となる血を受け継ぐ御曹司である。壇の浦で平家が滅亡すると捜し出され、鎌倉に下る途中の千本松原において危うく斬首されるところを文覚上人の力により助けられる。その後、出家し妙覚と名乗り、文覚上人の謀反に連座し、誅せられ、その首を供の者が思い出深い千本の松の根本に葬ったと伝えられる。東海道の旅人達に親しまれた巨木の六代松であったが、枯れてしまい、これを惜しんだ人々により天保12年(1842年)碑が建てられた。・・・

先程の石碑まで戻り先へ進む。間門橋を渡り、西間門交差点の歩道橋を利用し、県道163号線を直進する。信号から約400mの右手に大きく「従是東」と書かれた沼津藩領境傍示杭があった。・・・水野出羽守忠友は、安永7年(1778年)、韮山代官江川太郎左衛門から城地を引きつぎ、沼津藩創立と共にこの傍示杭を設置しました。この傍示杭は当時沼津藩の西境に立てられたものですが、明治末期に折られて、下半分が失われています。・・・

傍示杭のあった「八幡神社」からは、2km以上何もイベントが無くただ歩くだけだった。「JR片浜駅」付近で千本松原を見に海岸の方へ行ってみた。確かにたくさんの松が生えていた。

海へ出てみると綺麗な海岸が延々と続いていた。そして松原も。残念ながら空が曇っているので晴れていればもっと綺麗だろうと思った。ここで雄大な海をずーっと見ていたい気分だ。しかし霞んで見えないほどの遠くまで私は歩くのだ。更に京の都は遙か彼方なのだ。そうと思うと自信が無くなってくる。
今日歩いてきた道に戻り、道路反対側にある「JR片浜駅」で休憩をとった。

片浜駅前から約900m程でJRの踏切を渡り、そこからまたひたすら歩く。本当は右手に富士山を間近に見ながら歩く場所なのだが、あいにくの曇り空で全然見えない。富士を見ながら歩くのを楽しみにしていたので、とても残念だ。
踏切から約1kmの左手奥に白隠禅師ゆかりの松陰寺があった。

また、街道の少し先には、「白隠禅師誕生地」があり、奥には白隠禅師産湯の井戸が現存していた。・・・「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」と歌われ、臨済禅中興の祖と仰がれる白隠禅師は、1685年12月25日長澤家の末子として生まれる。15才の時自ら望んで出家し仏門に入り、19才から32才まで修行行脚で全国をめぐる。33才で松陰寺住職となり84才で亡くなるまで松陰寺を中心に全国各地で真の禅宗の教えを広めた。・・・

交番の前を通り少し歩くと、左手に東海道原宿本陣跡と書かれた石柱に張られた鉄板の説明書きがあった。
しかし沼津からここまで、これといった物が無かった。だからデジカメの出番も少なかった。ただ歩くだけで、右手も富士山も左手の松原も見えない。昔は景色が良かったんだろうな〜。


沼津宿〜原宿の地図