12.三島宿〜沼津宿



ここと故郷が関係しているとは・・・



2006.03.23.(木)  天気 : 曇り
三島宿〜沼津宿の地図






2日間の峠越えを無事終え、疲れも思ったほど残っていなかった。今日も歩けるぞ!妻は翌日から仕事のため午後帰宅するが、午前中は時間があるので二人で熱海観光をした。
午後2時に出発。凝った作りの源兵衛橋を渡る。

渡ってすぐを左へいくと三石神社があるが、時を知らせていた「時の鐘」があった。(写真は社です。)

伊豆箱根鉄道の踏切を越え、700m程歩くと左側の秋葉神社があるが、その付近に千貫樋及西見付と書かれた石碑があった。三島宿はここまでだ。

道路右手には、先ほどの石碑に書かれていた千貫樋が見えた。・・・伊豆・駿河の国境、境川にかけられてある樋で、天文24年(1555年)今川、武田、北條三家の和睦が成立した時、北條氏康から今川氏真に聟(むこ)引出物として、小浜池から長堤を築き、その水を駿河の疎通させた。樋ははじめ木樋であったが大正12年関東大震災の際、崩落したので現在の鉄筋コンクリートに改めた。・・・

少し先には古い常夜灯があった。建立は弘化3年(1846年)で最初は筋向かいの建っていたものらしい。

数百m歩くと道の両側に伏見一里塚が見えてきた。どちらも現在はお寺の敷地内になっている。まず街道右手は玉井寺一里塚と書かれていた。ここは昔の姿をそのまま残している一里塚で、とても貴重な存在だ。

反対側は宝池寺一里塚と書かれていて、・・・長い年月、風雨にさらされ原型が損なわれたので、昭和60年多くの篤志により原寸どおり復元された・・・らしい。原型でないのは少し残念だが、道の両側にあると、街道歩きにとっては素晴らしい送り物頂いた様でとても嬉しくなる。

一里塚から途中国道1号線を渡り約700m行くと、楽しみにしていた八幡神社が右手にあった。

何を楽しみにしていたかと言うと、ここには頼朝と義経が対面したという対面石があるからだ。・・・平家の軍勢が富士川の辺りまで押し寄せてきた時、鎌倉にあった源頼朝はこの地に出陣した。たまたま、奥州からかけつけた弟の義経と対面し、源氏再興の苦心を語り合い、懐旧の涙にくれたという。この対面の時、兄弟が腰かけた二つの石を対面石という。・・・私は二人の気持ちになって双方の石に腰掛けたのは、言うまでもない。

黄瀬川を渡り、400m程歩くと潮音寺が右手にあり、亀鶴観世音菩薩と書かれた石碑があった。説明書きを要約すると・・・黄瀬川村に小野善司左ヱ衛門政氏という長者がいたが、子に恵まれず祈願の末やっと一子を授かり亀鶴姫と名付けた。しかし、7才の春両親と死別、18才の時、源頼朝が富士の牧狩の宴に再度召されたが応ぜず、この世を憂き事と思い、黄瀬川上流の百沢の滝に身を投げた。・・・

少し先には、「従是西 沼津領」と書かれた傍示石があり、駐車場の一角を区切って大切に保存されていた。

県道380号線と合流し、700m程で左の旧道に入る。左に流れる川を渡る橋が頭上に横たわっているところを過ぎると、左に平作地蔵(写真中央の奥)があった。説明看板には、日本三大仇討の一と書かれていた。・・・地蔵尊の場所に昔茶屋があり、主を平作と言い娘のお米に茶店をやらせていた。そして仇河合又五郎の行方を知っている旅人十兵衛(20数年前に別れた平作の子)に娘お米の夫渡辺数馬の為、平作は自害してその居場所を聞きだし、数馬の義兄荒木又右ヱ門の助太刀で本懐を遂げた。平作爺さんの義侠心は人々の心を打ち、茶店跡に地蔵尊を建立した。・・・
ちなみに仇討ちの場所は現在の三重県伊賀市で、私の実家のある所だ。ここで故郷と関係する場所に出くわすとはビックリ!

少し先の右手には沼津一里塚があった。伏見一里塚からは距離が不足であるが、本来の場所が宿場内になるのでこの地(日枝神社旧参道脇)に築いたらしい。なお、終戦直後まで榎が植わっていたが、残念ながら枯死したため新たに植えられた様だ。

一里塚の傍らには、玉砥石があり、こちらは一里塚よりずっと昔からあるらしい。・・・玉砥石は、今から1200〜1300年前に玉類を磨くために用いられた砥石と伝えられています。柱状の二つの大石にそれぞれ直線的な溝があり、ここに玉の原石を入れて磨いたと考えられています。・・・

この先で再び県道と合流。三園橋の交差点(歩道橋あり)を過ぎ、次の歩道橋の先を左へ進む。ここは川廓通りと言う所だが、街道左は狩野川、そして右は沼津城があったらしい。・・・「川廓」は「川曲輪」とも記し、狩野川に面した城廓(じょうかく)に由来して名付けられたものと考えられる。・・・と説明されていた。通りは昭和30年代まであったとされる石畳をイメージして整備されていた。

右にカーブしている狭い川廓通りを通り過ぎ、広いさんさん通りを左折。東海道は通横町交差点を右折するのだが、ずーっと高い堤防で見えなかった狩野川を見るため左折をした。
川沿いで少し寒かったが、お茶を飲んで小休憩。広い川を眺めていると気分が落ち着く。

ホッと一息を入れ、今来た道を戻り真っ直ぐ進む。先程の通横町交差点の次を左へ曲がるのだが、そこを今日のゴールとした。
交差点には夢舞台東海道道標があり、沼津宿と書かれていた。


三島宿〜沼津宿の地図