×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

05.武佐宿〜愛知川宿

その2  武佐宿〜東近江市五個荘清水鼻町


伊吹山が見えた!


2007.3.21.(水)  天気 : 快晴

「大門跡」から600m程進む。右手に「不動明王道」の道標。

そして左手を見ると「西福寺」があり、門の横に泡子地蔵が祀られている「地蔵堂」があった。

そこから100m行くと用水路の様な小さな川を渡る。そして左手には、先程の「西福寺」に関する泡子延命地蔵尊御遺跡と書かれた石碑があった。
泡子地蔵のいわれ
昔この地に村井藤斎という者が茶店を構え、妹が茶を出して旅人を休ませていた。ある日、一人の僧が来てこの茶店で休憩をしたところ妹はすぐに大変深くこの僧に恋をした。そしてこの僧が立ち去ると、僧の飲み残した茶を飲んだ。すると不思議やたちまちにして懐妊し、男の子を産み落とした。それから三年して、その子を抱いて川で大根を洗っていると旅僧が現れて嗚呼不思議なるかな、この子の泣き声が、お経を読んでいるように聞こえると言う。振り向いて、その旅僧を眺めると、三年前に恋をした僧であった。妹が前年の話をすると、その僧が男の子にフッと息をかけたとたん、泡となり消えてしまったと言う。僧が云うに、西の方にある「あら井」というところの池の中に貴き地蔵があり、この子のために、お堂を建て安置せよ。現在は、西福寺の地蔵堂に祀ってある。このことは西生来の町名の由来でもある。

街道を暫く歩くと、左手の道端に小さな社があり、その横に変わった注連縄があった。見た事が無い形なのでとても珍しくデジカメに収めた。まるで力士がつける「まわし」と「さがり」の様な物だった。

そしてその先に新しく建て替えたのであろう、「東光寺」が街道左側に建っていた。ここは「豊臣秀吉」の祐筆であった「建部伝内」の屋敷があったらしい。
ちなみにここは「安土町」で、「織田信長」が建てた「安土城」がかつてあった町だ。(「安土町」は、2010年3月の市町村合併により、現在は「近江八幡市」となっている。)

160m先左手には「鎌若宮神社」と言うのがあった。境内に入って見るとあまり大きく無いが2階建てに見える社があり、「神武天皇遙拝所」もあった。

右側に「老蘇小学校」・「老蘇幼稚園」を見ながら「安土町西老蘇」から「東老蘇」へと入る。すると松の枝に隠れて、「奥石神社御旅所」の石柱が見えた。

少し先左手には道端に新しい「中山道」の道標があった。後々にはこの道標も、値打ちのある物になってくるのかも知れないと思った。

ここから220m歩くと橋があった。「轟橋」だ。橋の両側には常夜灯があり、渡った左手には、轟地蔵跡(写真左下)の石柱が建っていた。
現在福生寺に祭祀されている轟地蔵は中山道分間延絵図(重文 1806年)には、この場所に画がかれている。平安時代の俗謡「梁塵秘抄」のなかに「近江におかしき歌枕 老蘇轟 蒲生野布施の池・・・」と歌われ、その轟にあやかって名付けられた。轟地蔵は小幡人形の可愛い千体仏で安産祈願のお地蔵さんである。慶応元年(1865年)の福生寺の絵図には轟地蔵の記載がなく恐らく明治以後改修時に移したものと考えられる。往時轟川の川巾は狭く三枚の石橋が架かっていた。轟橋と呼ばれ、その橋石は現在、奥石神社公園地内に保存されている。

70m先右奥にある「福生寺」に寄ってみた。轟地蔵には気が付かなかったが、カラフルなよだれ掛けを付けたお地蔵さん達が並んでいた。

140m歩くと左側に奥石(おいそ)神社の鳥居があった。10時、ここに入って少し休憩する事とした。

本殿は立派で、その後ろに鬱蒼と木が茂った「国指定文化財」老蘇の森見えた。
この森は、平安時代には早くも人々に知られており、しばしば和歌などに詠みこまれている。往時は現在の数倍の大森林であったといわれ、街道(中山道)の名所として旅行者の訪れるところとなっていた。伝説によれば、昔この地方は地裂け水湧いてとても人の住める所でなかったが、石部大連(いしべおおむらじ)が樹の苗を植え、神々に祈願したところまもなく大森林となり、この大連は生きながらえて齢(よわい)百数十歳を重ねたため「老蘇森(おいそのもり)」と称せられたと伝えられている。今なおスギ・ヒノキ・マツ等から成る樹林はうっそうとして茂り、森の内には延喜式内社奥石(おいそ)神社が祀られている。

神社を後に出発すると、目の前に「東海道新幹線」の線路が近づいて来た。右の方を見ると、遠くに白く雪が積もった「伊吹山」が見えてきた。線路と高圧送電線が邪魔でハッキリ見えないが、とても綺麗だ。

街道は「新幹線」と平行する「国道8号線」に出るが、地下道を通って国道の反対側に出て、右へと進む。
(近江歴史回廊推進協議会発行の「近江中山道中絵巻」には、新幹線のガード下を潜り真っ直ぐと約460m進み、「石寺楽市」を右手に見て右折する様に表示されています。)
なお、前に見える山は繖山(きぬがさやま)と言う。西国三十三ヶ所巡りの第三十二番札所「観音正寺」がある。数年前札所巡りをやっていて、車でこの道を真っ直ぐ進み、行き止まりから歩いて階段を上りかけたが、夏だったのですぐに蚊の大群に襲われ、慌てて戻って来た事を思い出した。その後、車で上れる道を見付け、無事お参り出来たのだが・・・

地下道を潜る手前右手には、新しい「中山道」の道標。「愛知川宿へ一里半」の文字を確認した。

地下道を潜ったのは歩道があったためだ。線路と車道に挟まれて400m進むとやがて国道は「新幹線」の下を潜り、線路の左側へと出た。

250m程進むと歩道が途切れた感じになっているが、そのまま斜め左へと続く道に進む。この道が中山道の旧道だ。

旧道を290m進むと突き当たりのT字路だが、その道路標識と共に「常夜灯」があった。

この目印を右折して進むが、道自体は写真の通りだ。ちなみに曲がり角には「フードショップ タケヤス」と言うお店になっている。

ここから150m進むと、「旧五個荘町」、現在の「東近江市」へと入って行く。


上に戻る