7.藤沢宿〜平塚宿



私は晴れ男???



2006.03.06.(月)  天気 : 晴れのち曇り
藤沢宿〜平塚宿の地図






今日も晴れだ!今まで雨に降られた事が無い!8:50藤沢本町駅を出発。小田急線に架かる伊勢山橋を渡り、東海道を進む。

道路左側に道祖神があったが、家の塀に囲まれ狭そうだ。しかし大事に残されている。ここには東海道があったという生き証人の様なものなので、チョッピリ嬉しくなる。

引地川を越えて進むと今度は変わった道祖神があった。顔に何かが塗られている???説明書きにはおしゃれ地蔵と記されてあった。「女性の願い事なら、何でもかなえて下さり、満願のあかつきには、おしろいを塗ってお礼をする。」と書かれていた。見た目は道祖神だが、地蔵と呼ばれているようだ。

そのまま進むと、右手の少し高い場所に松並木が残っていた。松並木を見ると、ここは東海道と実感するので、とても嬉しくなってくる。

道を進むと1号線に出た。道の反対側に四谷不動(大山道標)があった。説明には・・・東海道と大山道が交差する四谷辻に建てられていた道標で、大山不動尊の下、正面に「大山道」、両面側に「これより大山みち」とあります。延宝四年(1676年)に江戸横山町の講中が建てたものです。・・・と、あった。

1号線を左折し、少し先に一里塚跡があった。四ッ谷の一里塚跡で松並木の下に標柱が建っていた。

その先には、二ッ家稲荷神社の庚申供養塔があった。寛文10年(1670年)に建てられた物だ。二ッ家の名は、二軒茶店があったところから付いたようだ。

そのまま道路右側を進むと、今度はとても古そうな道標らしき物があった。しげしげと眺めて見たが、なんて書いてあるのか私には分からない。

それにしてもこの付近には綺麗な松並木が残っている。国道から離れた所ならともかく、国道1号線にこんな所があるとは思っていなかったので、とてもビックリした。

JR相模線の上を越え、300m程進んだ所に茅ヶ崎一里塚があった。塚の前の標識には、「一里塚通り」書かれていた。この付近は松並木と言い、一里塚通りと言う名前と言い、今も東海道が生きている。

茅ヶ崎駅前交差点は横断歩道が無いので、地下道を通る事になるのだが、2時間程歩いたので、休憩をするため茅ヶ崎駅へ向かった。駅前のスターバックスでコーヒーを飲もうと思ったがメニューがおじさんには難しい!ホットコーヒーと言って何とかごまかした。

前述の地下道を歩き、郵便局や警察署の前を通り抜け、1号線を進む。歩道橋手前に神社があった。ご祭神が天地世界の創造の神で、天神七代の神々の内第六代目の神・・・と言う事で、第六天神社らしい。

千の川に架かる鳥井戸橋の袂に南湖の左富士之碑があった。ここでは、江戸から京に向かって左に富士山が見えるらしいが、曇っていて全然見えなかった。

新湘南バイパスの下を潜り進んで行くと大きな橋の手前に、平塚市の看板が見えてきた。大きな橋は相模川に架かる馬入橋だ。左にはJR東海道線が走り、右前方には平塚アリーナが見えた。

橋を渡りきった所に、陸軍架橋記念碑が建っていた。刻み込まれた文面を読んでみると、どうやら大正12年9月の関東大震災で壊れた馬入橋を、陸軍の手により早くも10月3日に、長さ450mの橋を完成させたようだ。お昼の時間だが、この付近で5分程休憩を取った。

再び歩き始め、1号線は右へ緩やかにカーブしていくが、旧道は真っ直ぐ進む。ちょうどその分岐点付近に馬入の一里塚の説明看板があった。この付近に日本橋から数えて15番目の一里塚があったようだ。

JR平塚駅前を過ぎ、見附町と言う地名の所まで来た。文字通りここに、江戸見附があった。石垣は東海道に対して直角に対をなし、両側の見附は東西に少しずれた形で設置されていたらしい。

近くの平塚市民センターの敷地内に、平塚の里歌碑があった。平安紀行の作者が京に上る道すがら、平塚で三浦遠江入道定可の遺跡・墓地を里人に尋ねたが誰も知らなかったので詠んだものらしい。

昭和32年の市制25周年に東京都からもらい受けた、江戸城井戸枠もあった。
この後、本陣跡まで行こうと歩き始めたら、雨がパラパラと降ってきた。この旅で初めての雨だ!仕方なく傘を差そうかと思ったら、すき家があったので昼食にした。本当は本陣跡を見た後、平塚駅に戻る途中に、少し遅い昼食を牛丼でと思っていた。食後歩き始めた時には、雨が止んでいた。私は晴れ男なのか?それとも、たまたま?

待望?の牛丼を食べ、雨も止み、気分良く平塚宿脇本陣跡に向かった。脇本陣は、享和年間に「東海道分間延絵図」にも描かれいたが、天保年間には二十四間町の北側のこの地に山本安兵衛が営んでいた。

すぐ近くに平塚宿高札場の蹟があった。それにしても、立派な石造りの碑なので分かりやすい。チィッポケな看板1枚じゃ見過ごしてしまうからだ。

少し先に神奈川銀行の赤い看板が見える。その前に平塚宿本陣旧跡の碑があった。横に置いてあった自転車が邪魔だったが、そのまま写真を撮った。碑を建ててくれるのは有り難いが、回りに物を置かないようにしてもらいたいものだ。

午後1時半を回ったところだが、今日の歩きはここまでで平塚駅に向かった。途中、道路反対側にあった平塚宿東組問屋場の蹟をデジカメに収めた。駅へ向かう途中、再び雨が少し降り始めたので、ここで終わって正解だと思った。


藤沢宿〜平塚宿の地図