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6.戸塚宿〜藤沢宿



ポカポカ陽気で梅見



2006.03.05.(日)  天気 : 快晴
戸塚宿〜藤沢宿の地図






今回は藤沢市内で連泊とした。朝JRで戸塚駅までやってきた。昨日は本陣まで歩いているので、また同じ道を歩き続きをスタートした。右手に八坂神社が見えてきた。境内にお札まきと書かれた説明書きが見える。石段を登り見てみると、姉さんかぶりにたすきがけの女装をした写真が載っている。毎年7月14日の夏祭りに踊りながらお札をまくらしい。江戸中期には、江戸や大坂で盛んに行われていたが、現在は戸塚宿だけになっている。

信号を越え先に進むと、八幡宮と書かれている鳥居が目に付いた。冨塚八幡宮だ。近くに「鎌倉を生きて出(いで)けむ初松魚(はつがつお)」の芭蕉の句碑もあった。ここも社の前まで登ってみる。道端の説明書きには社殿後方の富属彦命の塚を富塚と称した事により戸塚の地名が発祥したと書いてあった。

道路の右側から左側に横断し、進むと小さい松の木が植えられている上方見付の跡があった。広重の浮世絵が描かれている銅板もあり、戸塚区制50周年記念の平成元年に造られた様だ。この松もこのまま100年、200年と育って欲しい。

再び道路右側へ。大坂と言う坂を登って行く。今日は、まだそんなに歩いていないので、足はまだまだ大丈夫。庚申塔がずらーっと並んでいた。

また左側へ横断。途中から国道1号線に広い中央分離帯が現れ、公園の様だ。車の通りが多いが緑を見ると少し気分が落ち着く。色んな木が植えられているが、やはり東海道には松が一番似合う。

左側は見晴らしが良くなってきた。坂を登ってきた証拠だ。国道に繋げる道も建設中だ。
マンションの横にお軽勘平戸塚山中道行の場の石碑があった。戸塚山中と言うくらいだから、昔はここも山の中だったのだろう。

今度は下り坂だ。原宿一里塚跡が見えてきた。少し小高い所に松等、木が何本か植わっていた。本物の一里塚は明治9年に取り壊されてしまった様だ。

坂を下りきり、平坦な道を歩く。中央分離帯がなくなった辺りで、馬頭観世音と道祖神が長方形の石碑の形でひっそりと建っていた。

しばらく歩き、街道上のマクドナルドで休憩。お昼前だったが、お腹が空いていないのでホットコーヒーを飲む。ここは安くて暖房が効いていて、街道歩きにはもってこいの現代茶店だ!
その店先辺りから1号線の左側道を歩いて行くと、左に別れていく旧道に入れる。そして土塁上の松並木が見えてきた。

旧東海道松並木跡の碑も建っているが、横の看板に昭和35年頃からの松食虫の被害により、大半が枯れてしまったと書かれていた。松並木じゃなく、松並木跡とは・・・とても残念だ。

気を取り直し先へ進む。下り坂になり道路の右側に見付跡と書かれていた。ここからは藤沢宿だ。

道路左側には諏訪神社と書かれた立派な石碑が建っている。どんな神社か気になり階段を登ってみたが、思った程じゃなく少しガッカリ。ついでに境内で、泊まっているホテル近くのコンビニで買ったパンを昼食代わりに食べた。

簡単な昼食を終え、旅を続ける。右に遊行寺の駐車場らしき所が見える。地図を頼りに薬局を右折、再び次ぎの角を右折すると昔の地図と共に説明が書かれていた。それを見ると、今通った余り広くない道は大鋸広小路らしい。ここは日本三大広小路のひとつで火除地として文字通り幅広い道があったようだ。
そしてそのまま真っ直ぐ行くと清浄光寺(遊行寺)に入って行く。立派な黒門とその中にいろは坂が見える。

お寺の敷地内ではフリーマーケット(蚤の市)が開催されていた。有名は大銀杏もあるが、今日は邪魔者扱いだ。

広い境内を歩き本堂に向かう。こちらは打って変わって静かな佇まいだ。有名なお寺とは知らない無知の私は、立派なお寺に驚いていた。

ここは時宗の総本山なので、宗祖の一遍上人像もある。

それにしても快晴で今日はポカポカと暖かい。境内の紅白の梅も満開で、青空に映えていた。

境内が広いのでやっと探し当てた小栗判官之墓があった。私は知らないが、浄瑠璃で有名らしい。

その浄瑠璃に出てくる照手姫之墓も近くにあった。浄瑠璃では恋愛物らしいが実際は・・・盗賊の横山大膳が毒酒を飲ませて財宝を奪う計画を照手姫の密告により、小栗判官は遊行寺に逃れた。しかし家来十人は毒殺される。そしてその後横山一党を敗った。小栗判官が亡くなった後照手姫は尼となり、家来共々霊を弔いながら余生を送った。・・・

黒門を出て東海道に戻る。すぐ境川に架かる赤い遊行寺橋渡って国道に出る。左折すれば連泊しているホテルがある藤沢駅へ行けるが、本陣跡を目指し右折した。

数百メートル進むと道路右側に、蒔田本陣跡の碑がラーメン屋さんの店先にあった。今日の目標地点はここだが、小田急の藤沢本町をゴールとして歩き続けた。

途中街道を左に少し外れ、永勝寺に立ち寄った。ここにある飯盛女の墓を見たかったからだ。飯盛女とは、江戸時代に宿場の旅籠屋で給仕をする女だが、遊女という側面もあった。そしてその女達は借金の形として売られてきた者が多かった。旅籠を営んでいた小松屋源蔵は、使用人である彼女達の立派な墓を建て供養したのだ。墓を見るとチャンと名前が彫られていて、それをひとつひとつ見て回っていると、小松屋源蔵の気持ちが伝わってきて、涙が出そうになった。

感動しながら東海道を再び歩き、右の細い道を入った公園に源義経首洗井戸があった。義経の首が鎌倉に送られてきて、首実検の後、腰越の浜に捨てられた。それが潮に乗って境川を遡り漂着したのを里人がすくい上げ、洗い清められた井戸らしい。

源義経公之首塚がその近くに立派に建てられていた。

元の道に戻り少し行くと、白旗交差点があり、右折した先に白旗神社の鳥居が見えた。ここの説明書きには・・・義経と弁慶の首実検を腰越でなされたあと、夜の間に二つの首は、この神社に飛んできたという。このことを頼朝に伝えると、白旗明神としてこの神社に祀るようにとのことで、義経公を御祭神とし、のちに白旗神社と呼ばれるようになった。・・・とあった。

そして神社の中に、庚申供養塔江の島弁財天道標がずらりと並んでいた。
東海道に戻って少し歩いて行くと、小田急の藤沢本町駅に着いた。今日はここまでとし、初めて小田急線で藤沢駅まで1区間だけだが乗った。やはり歩道橋を降りるときヒザが痛かった。まだ修行が足りぬ・・・


戸塚宿〜藤沢宿の地図