5.保土ヶ谷宿〜戸塚宿



権太坂だ!



2006.03.04.(土)  天気 : 晴れ
保土ヶ谷宿〜戸塚宿の地図






約1ヶ月ぶりに東海道歩きを再開した。
妻が箱根越えを一緒にしたいと言い出し、日次が3月21日と決まった。それまでに小田原まで歩かなくては・・・少し焦りを感じながら、横浜で夜行バスを降りた私は、早朝6時すぎにJR保土ヶ谷駅を出発し、本陣跡・脇本陣跡を通り過ぎ、旅籠屋(本金子屋)跡の立派な門を眺めていた。

5分程進んだ道路左側に歴史の道の看板があり、一里塚跡・上方見附跡の説明が書かれていた。そこには工事中らしくフェンスの囲いとブルーシートに囲まれた物があった。一里塚を再現しているのでは?と思いながらジロジロ見つめてみた。

目の前に歩道橋が見えてきた。その近くに文化七年と刻まれた保土ヶ谷宿石碑が朝日に輝いていた。付近には湯殿山供養塔などもあった。

緩やかに左に曲がっていく国道と別れ、真っ直ぐ旧道に入る。国道は早朝でも車が多いが、旧道はさすがに少なかった。右手に梅が咲いている樹源寺の門が見えてきた。

明治時代の東海道線鉄道工事により、流れを変えられた今井川に掛かっていた旧元町橋跡を過ぎ、突き当たりを左に曲がる。すぐに現在の元町橋を渡ると元町の由来保土ヶ谷宿のいちはつの花の説明看板があった。いちはつの花はこの付近の民家の茅葺屋根の上に咲いていたらしい。
右斜め前には石仏や石碑が建っていた。江戸を出発して最初の急坂となる権太坂の無事通過を見守るように・・・

いよいよ右手前方に坂が見えてきた。坂の入口には、権太坂と書かれている。間違いない。
名前の由来は・・・昔旅人が坂の名前を耳の遠い老人に聞いたところ、自分の名前を聞かれたと思った老人は、「権太」と答えた。・・・ためらしい。

急な坂だ!ここまで来れたので歩きには少しは自信が出てきたが、やはり足が痛くなり、途中で断念しないか心配しながら登り始めた。
坂の途中、左手に旧東海道権太坂改修記念碑が、何故か赤い鳥居の後ろに建っていた。

権太坂は、宙に浮いていた!権太坂陸橋が高速道路の上を跨いでいるのだ。道を通すため坂の下を削り取ったのであろう。

何とか坂を登り切り突き当たりを右へ、立場茶屋として牡丹餅を売っていた若林家が右手にあった。ここ境木は街道を東西どちらから来ても坂の上にあたるので、一休みできる茶屋があったらしい。また、西に富士、東に江戸湾を望め、旅人は必ず足を止める名所だった。

その先に、境木延命地蔵尊があった。この地蔵には珍しい伝承があり・・・鎌倉腰越に漂着した地蔵が、土地の漁師の夢枕に立ち、「江戸へ行きたいので、運んでくれたらこの海を守ろう」と告げたので漁師達は江戸へ運んで行った。しかし境木で動かなくなったので村人達は地蔵のお堂を建て安置したら、村が繁盛した。・・・との事だ。

地蔵尊の前は新しく公園の様な広場になっている。そしてそこに傍示杭のモニュメントが建てられていた。説明書に依ると・・・ここは武蔵国と相模国の国境で傍示杭あるいは境杭と呼ばれる木柱が建てられていたので「境木」の地名がついた。・・・らしい。

無事坂を登ることができ、昔の旅人と同様にホッと一休みをし、綺麗に歩道が整備された焼餅坂を下った。

品平橋を越えるとまた登り坂だ。今度はとても狭い品濃坂で、頂上辺りが林の様になっている様子だ。

登った先には、日本橋から9番目の品濃一里塚があった。道の両側がこんもりと山の様になっている、これが本当に一里塚らしい。説明書に、地元では一里山と呼ばれていたと書いてある。そう言えば、私の住んでいる近くにも一里山と言う地名がある。また、東の塚は平戸村内に西の塚は品濃村内にあったと書いてあった。

一里塚を過ぎて朝食を取るため東戸塚駅方面へ右折した。ハンバーガーショップで朝食兼休憩を取り、約1時間後の9時半前の東海道に復帰した。しばらく行くと右にカーブし、左手に下に降りる階段があった。これが現代の東海道だ。

階段を下りると歩道橋になっている。環状2号線を渡り歩道橋を降りようとしたが、右か左か迷った。

歩道橋を戻ったところに、品濃坂と書かれたモニュメントに旧東海道が書かれた銅板の地図が屋根の部分にあったので確認を取った。歩道橋は左に降りるのが正解のようだ。

歩道橋を降りてからすぐ右に入って行く。バイパス下を潜り柏尾川沿いを歩く。東海道を歩かれているのか、10人前後の団体の方達とすれ違った。赤間橋を越えた後1号線へ。しばらく歩き右に入ると柏尾の大山道道標があった。道標は寛文から明治までの4基があり、他に灯篭と庚申塔もある。

1号線が小田原方面と戸塚駅方面に別れている不動坂交差点手前左に益田家のモチノキがあった。この樹皮から鳥もちを作るのでモチノキと言うらしい。

旧東海道は1号線を通らず、一番左手になる益田家下の道を歩く。道なりに歩いて行くと、史蹟への小径と書いた石碑があった。碑の裏には、「歴史は古く、永くそして悠久に継承される」と書いてあった。
その先右折し川沿いを歩き、再び1号線を左折する。

右手のファミレス前に江戸方見付跡の石碑があった。戸塚宿の入口だ。本陣をゴール地点と決めて歩いているので、東海道歩きの再開初日も、もうすぐゴールだ。

少し先に戸塚一里塚跡の金属製の説明書があった。日本橋からちょうど10里歩いた事になる。

その先に柏尾川に架かる大橋があり、東海道の浮世絵が描かれている。橋の手前を左折すると、鎌倉道になる。

久々に歩いたからまた少し足が痛くなってきたが頑張って歩く。JR戸塚駅近くの踏切だが、なかなか電車が途切れずイライラして待った。

やっと踏切が開いたので、閉まらない内にと早足で歩く。右手の少し坂を登った所の清源院へ寄ってみた。足が重く歩が進まない。芭蕉の句碑は見つかったが、於万の方の火葬跡が見つからない。探す元気が残っていないのでそのまま寺を後にした。

11時半すぎに澤邊本陣跡に到着した。後ろには明治天皇戸塚行在所阯もある。お昼前であるが今日はここまでだ。午後は予定通り横浜中華街へ。少し遅めの昼食は飲茶にした。とても美味しく一人で至福のひとときを過ごした。


保土ヶ谷宿〜戸塚宿の地図