日本橋〜品川宿の地図 |
眠れないバスの旅だったが、雪の影響も無くまず横浜駅で停車し、その後6:30の到着予定より少し早く、無事品川バスターミナルに着いた。
2Fの待合室で眠い目をこすりながら、前日買って置いたパンを食べ、日本橋から品川までの初日の旅に備えた。 |
近くのJR品川駅に向かい、出発点の日本橋に向かった。
東京で3泊する予定だが、いつリタイアしてもいい様に(超弱気!)、ホテルも出発点近くに予約した。なのでこの日は、品川と日本橋を1往復半する事になるのである。 |
東京駅に着き、地図を見ながら日本橋にたどり着いた。橋周辺の写真を撮っていると、寒い2月のそれも土曜日の朝8時前なのに、同じ様に写真を撮っている人がいたので、記念に橋をバックに私の写真を撮って貰った。(わざと一部だけの表示にしてあります。)
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本当はダメなのだが、土曜日の早朝なので車も少なく、道路中央にある、日本国道路元標の写真を撮った。
10年以上前に観光で来た時も撮影したが、今回は一大プロジェクト(チョッと大げさ!)の出発式の記念写真みたいな気分で撮影した。
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近くにある里程標を見ると、京都までは503キロと書いてあった。本当に歩けるのか・・・またまた不安になってきた。
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あちこち写真を撮り終わり、いよいよお江戸日本橋を後にした!
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日本橋を出発し、銀座方向に歩き始めた。土曜日の早朝は、都心に居るとは思えないほど、人と車が少なかった。
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東京駅へ行く八重洲通りを横切り、高速道路をくぐる手前に江戸歌舞伎発祥之地碑があった。私はこれから先、幾多の碑の写真を撮ることになるのだが、その最初の碑を慎重に撮影した。近くには京橋大根河岸青物市場跡碑もあった。
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そして、京橋の親柱もあった。明治時代の物と大正時代の物が残っていて、「きやうはし」と書かれているのは、明治時代の方のようだ。いきなり撮影ラッシュだ!
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また、明治初期のガス燈もあった。燈具は復元された物だが、燈柱は明治7年の実物を使っていた。
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田舎者の私が、それも慣れないリュックを背負って天下の東京を歩いていると少し恥ずかしい。銀座発祥の地碑の銀座の字を見ると、改めてそう思った。
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新橋・浜松町に入ってきた。右手奥に増上寺が見えてきたので寄ることにした。
この日は快晴で、バックの東京タワーと写真を撮ったが絵になった。前日は、横綱朝青龍らに依る豆まきがあったようで、その後片づけをしていた。
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東海道(第一京浜)に戻り、旅を再開した。芝4郵便局を過ぎると、道路左側に西郷・勝の江戸開城会見之地碑があった。丸い碑なのですぐに分かった。
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札の辻歩道橋からも東京タワーが見えるが、増上寺からの景色の方がとても良いと思った。
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朝出発したバスターミナルが近付いてきた。その手前に高輪大木戸跡があった。こんな都会の大通りに江戸時代の大きな史跡があるとは思っていなかったので、驚きながら見学した。
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持っていた地図を参考に泉岳寺を探したが、私の見方が悪かったのか行き過ぎた。少し戻った所に泉岳寺の標識が見えたので、重くなったきた足を引きずりながらその方向へ進んだ。 敷地内に椅子があったので、先に休憩する事にした。とても天気が良く、真冬だが暖かく感じられた。
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前に住んでいた三重県からも同じ品川バスターミナルまで何度か来たことがあるが、泉岳寺の標識を見ながら一度は寄ってみたいと思っていたので、やっと来られたという感じだ。 大石内蔵助良雄を始め四十七士の墓を見て、歴史の1ページが今、目の前にあると感じた。
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泉岳寺を見学した後、近くの牛丼屋で食事を済ませ、旅を再開! 箱根駅伝で良く聞く八ツ山橋を越えた。ちょうど道路工事中で北品川商店街へ入る道が分かりにくかったので、工事関係者の方に聞いて京急の踏切を渡った。 そして、品海公園で、日本橋より二里の碑をみつけた。
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少し先に品川宿本陣跡があった。本当に東海道を歩き通せるのか半信半疑だったが、一つ目の宿場まで歩けたのだ!
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歩き慣れていないので、左ヒザが痛くて仕方がないが、今日のゴール地点に決めていた品川橋まで来れた!目黒川に掛かる品川橋をゴール地点に決めたのは、北品川宿と南品川宿の間だから宿場のド真ん中になると思ったからだ。 東京は日本の中心地で一番未来的な所。その地で江戸時代という過去を存分に味わえるとは、正直思っていなかった。今日一日は不思議な日だった様に感じる。とにかく、東海道を踏破する自信が少し出てきた! 私は、今日一日で感じた事を思いながら、日本橋のビジネスホテルへ行くため、京急新馬場駅に足を引きずって行った。
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日本橋〜品川宿の地図 |